理想と現実
- 2015/7/21
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人は誰でもあらゆるものに「理想」というものを持っていますよね。
人によって、仕事や異性、金銭面等、色々あると思います。
多くの人は、理想に向けて、日々努力しています。
私もその中のひとりでしたが、最近少し考え方が違ってきました。
「理想」が実現したからと行って、それが「最善」とは限らないのではないか?と思い始めてきたのです。
難しく聞こえるかもしれませんので、昨日体験した私の事を例に挙げてみましょう。
昨日夜10時前に帰宅し、元気良くドアを開けて、「ただいま!」と声を掛けた所、奥から「お帰り」と微かに聞こえる程度の返答がありました。
妻が顔をこちらに向けることなく、体事テレビに向かい、集中している様子。
私は服を脱ぎながら、友人から電話が掛ってきた事を話しだすと、「これ見ているから、静かにして!」と怒った口調で返されました。
この番組が見たかったから、邪魔をされて嫌だったんだろうと思い、気持を切替えて、風呂に入り、1日の疲れを取る私でした。
これで、誰も気を悪くすることなく、穏やかな日常が遅れたわけです。
しかし、私の理想では帰宅すると、玄関口まで来てくれて、笑顔で「お帰り」と迎えてくれる生活です。
もちろん、私の話をキチンと聞いてくれて、テレビには見向きもしない妻が私の理想です。
これだけ聞くと、私が現実をどれだけ我慢しているかと思われるかもしれませんが、それは違います。
もし上記の理想が当たり前の様に続けば、その有難みも分らないでしょう。
たまに妻が用事で玄関まで迎えにこれなければ、それだけで、機嫌を悪くするような忍耐力のない人間になっているかもしれません。
そう考えれば、理想の生活というのは、自分をだらけさせてしまい、成長するのに障害になりかねない場合もあるように思います。
(もちろん、理想的な生活を送りながら、自分を成長させている方も沢山居られますが、これは私の場合です。)
こう考えれば、日々鍛えてくれる鬼軍曹の妻に感謝の気持さえ湧いてきます。
でもたまには、理想的な出迎え方をして欲しいなぁ~(苦笑)