不幸と幸福の関係

私の趣味は、休日の朝の散歩です。
この季節の朝散歩は段々と寒くなってきました。

でも散歩すると、気持が良い事もそうですが、ひとりで周囲を見ながら歩いていると、色々普段考えない事が頭に浮かんでくるのも、楽しみのひとつなんです。

先日も、新たに気付く事がありました。
人が普段感じる幸福は、不幸とワンセットになっているという事です。

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言い換えれば、「幸福」だけはあり得ず、「不幸」が存在して初めて「幸福」を感じるのです。

何故そう思ったのかというと、寒い早朝に散歩していると、猛烈にトイレに行きたくなったのです。(汚い話しですみません^^;)

トイレに行きたくても、周囲にコンビニも公衆トイレもありません。

仕方なく、トイレのある所まで我慢に我慢を重ね続けました。
知らない間に早足になり、イライラ、キョロキョロとコンビニを探しても、やはりありません。(もう限界だ!)と物陰を探そうかと思った、その時です!

砂漠にオアシスかのように、コンビニを発見しました!

内心焦りながらも、平静を装って店員さんに、「トイレを借して下さいね!」と笑顔で断わってからトイレに直行!!

緊張状態から解放されて、トイレから出てきた私は、それまでのイライラ感どころか、幸福感を身体と心いっぱいに感じておりました。

そのコンビニで水を購入し、トイレを貸して戴いた店員さんにお礼を言って店を出ると、足取りも軽く、無意識に笑みを浮かべながら再び歩き出しました。

しかし、先程の私とは別人のように、幸福感いっぱいの自分がそこにいました。

ただ、トイレに行って帰ってきただけの違いで、普通こんなにも幸福感は感じにくいと思います。

いつもと何が違うのか?
それは、いつもより、トイレに行くのを我慢するという「不幸感」を感じていたので、その「不幸感」のぶんだけ、解放された時に「幸福感」に包まれたわけです。

要するに、「不幸」を感じた分だけ、それから解放された時「幸福」を感じるのではないでしょうか?

今回もそれほどトイレに行く事を我慢していなければ、それほどトイレに行った時に幸福感を感じてなかったでしょう。

さすがの私も、毎日何度も行くトイレで毎回幸福感を感じているわけではありません。^^

もの凄く我慢したからこそ、解放された時に笑顔いっぱいになったのです。

ですから、何が言いたいのかというと、不幸があっても、その分だけ幸福感を感じる事が出来ると思えば、その不幸を乗り越えやすい様に思います。

「不幸」と思う事は、「幸福」を感じる為のスパイスかも知れませんね。

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