スピーチ時の人前でのあがり症を短期間で克服する方法 / 大阪・城東区にある心理療法・カウンセリング院
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第2回:転機
大学卒業後社会人になり、各業界で経験積んだ後、父親の会社に入社したというのに、
「これで良いのか?」と悶々とした気分でいる所まで、前回は掲載しました。


こんな気分でいながらも、日々の仕事で営業回りの後は、社内の業務、月末近くには月単位での財務状況を把握する為にコンピューターに各データを入力と忙しい毎日を送っていました。

そんなある日のこと、実家の母親から会社に電話がありました。
実家で一緒に暮らしていた姉の様子がおかしいので、父にすぐ帰ってきて欲しいということでした。

その頃私は実家を出て独立しており、実家には両親と姉の3人暮らし。
私は知らなかったのですが、姉はしばらく前から高熱を出しており、寝込んでいたらしいのです。

急いで父は家に向かったのですが、私はそうとは知らず、仕事を続けておりました。
それから数時間後、今度は私に父から電話が!「病院にすぐ来い!危篤や!」

私は訳が分からないまま、急いで病院に向かうと、
身体中管だらけにして、意識を失っている姉の姿が・・・。


あの衝撃は忘れられません。
今もキーを叩く指が猥えるくらいです。

それから数日間、意識を失いながらも、医師、看護婦さんをはじめとする、
色々な皆様のおかけで命を取り留めることは出来ました。


でもその代わり、重い障害を一生抱えることに・・・。
風邪の菌が青髄から脳に入り、広範囲にわたり脳細胞を侵してしまい、
身体の運動機能をつかさどる部分がほぼ用を成さない状態に。

つい数日前まで元気に日常を過ごしていたのに、
その当たり前の日常を過ごすことはもう、出来なくなってしまいました。


この出来事は、兄弟としてのショックは当然ですが、人生にとっても大きな転機になりました。

明日は普通に来るとは限らないことにようやく、気付いたのです。

それからは、もし急に人生が終わる時に、悔いを残していないかという事を、
真剣に逃げずに考えることが出来るようになりました。


あまりにも大きな出来事ですが、今では姉が教えてくれたと思っています。
そのように考えなければ、姉のあの出来事は全く無駄になってしまいますものね。

この事があってから、自分の気持ちに正直に生きようと思い、
会社の社長である父に思っていることを全て話しました。


姉のことで既に気落ちしていた父は、理解を示してくれ、結局会社は廃業することに。
父には申し訳なかったと思いますが、今思えば、やる気の無い私がこのまま続けても、
経営がどうなっていたか疑間です。

キズを大きくするよりは、これて良かったのではないでしょうか。。

今号ではここまで!次号では、整体の業界に入るまでの事です!
会社を辞めた後、収入が無いのに、どのようにして過ごしていたのでしょうか?!

また、既に結婚していた私は、怖い妻にスンナリ賛同してもらえたのでしょうか?!
次号をご期待ください!!
(やっぱりなかなか終わりそうにないな~)

つづきはこちら!